2025/06/06 12:59

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よく、キリスト教の人たちは
日曜日に教会に言って祈りを捧げたり
仏教の人もお寺で同じことをしている。
でも本当に建物は大切なのか?
わたしは本当の教会は私たちの体にあると
見ている。
私たちが体に意識を当てる時、
自分の中の神聖さと繋がり
神聖さを感じ取り、またそれを受け取る
スペースができる。
世界の大体の宗教は
神と人間は分離されていなくて
実は一体となってたり繋がっている
と聖典に記されている。
例えばキリスト教だと
“Do you not know that your body is a temple of the Holy Spirit within you…?”
— 1 Corinthians 6:19
『中部経典(Majjhima Nikāya)』より
「この丈六(じょうろく=約2メートル)の身体の中に、この世界が存在する。」
– 『中部経典(Majjhima Nikāya)第28経『大念処経』より
密教(真言宗・チベット)
身体は曼荼羅、仏の宿る神殿
空海は
「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」
「この身このままで仏になる」
この考えはユダヤ教では非常に明確に語られている。
「あなたの体は神の宿る神殿である。」
– タルムード や後期ユダヤ思想の中に明示的に登場します。
また、旧約聖書にも:
「主の霊はあなたの中に宿る。」
– エゼキエル書
私の知っている限り、多くの教えは
寺は体だと教えてくれる。
つまり、人間が体に意識を当てている時
意識は聖堂にある。
人間が体に意識を当てる時、
体のアンテナは天に・神に当てられる。
これは体に深く意識を当てられた者は
みんな実感することだと思ってる。
私たちの体は物理次元だけでなく
感情の次元、
エネルギーの次元、
そして精神の次元など
全ての次元と繋がれるアンテナであり
プログラム・カルマ・トラウマなどと
向き合い、統合できる神聖な場所であるのは
間違い無いと思う。
