vicoworld

2025/06/06 14:04



Image source: Pinterest


今思い返すとわたしは小さいころから

ずっと見た目にコンプレックスがあった。


日本の学校の教育を受けて

今でこそ、ハーフは羨ましがられる

存在になってるけど

その当時はクラスで外国人な見た目をしていたのは

わたしだけでいつも「外人」という

カテゴリーに入れられたり

いじめられたり

目立つ経験をして、

目立つことに恐怖を感じるようになった。


いつも周りとブレンドするために

黒髪とか日本人的見た目に憧れてたし

モテた経験も大人になるまでなかったし

小学3年生の時、ビクトリアという名前が

嫌になって、びこという通称名を

登録した。


わたしは物心ついた時から

自分の見た目が大嫌いだった。



20歳をすぎた頃には

メイクで自分の”醜さ”を隠すために

濃いメイクをして

ノーメイクで鏡を見ると

全てが治したい対象として写って

素の自分は受け入れ難い対象だった。



子供の時からパパは

「見た目に浮かれてても年取ったら無くなるんだから見た目にエネルギーを注ぐことはおかしい」

と言っていたし

ちょうど去年、ママが日本に来た時も

「わたし子供には自分が綺麗と思って欲しくなかった」

と聞いて、なぜ自分が自分の見た目を嫌って

生きていたかが理解できた。


20歳すぎた頃、

見た目に自信がなかったわたしは

「内面を美しくしよう」と決めて

内面に磨きをかけることに

本気で集中するようになった。


たくさんの心理学と脳科学の本を読んで

「人は何を魅力的に感じるか」を勉強した。


世界中にはたくさんの美しい見た目の人が

いる中で、ビューティーコンテストで

優勝している人は何の見えない魅力があるかも

インタビューを見たりして

分析し、勉強した。



そして勉強を重ねる中で

わかったことは、

「美しさはその人が客観的に美しいかどうかよりも、その人が自分自身を美しいと捉えているかどうか」

が重要なことがわかった。


そして、なぜ私たち女性は美に対する

潜在的欲望があるかというと

これも

「自分自身のことを美しいと捉えたい」

ことと

「愛されたい」欲求からきていることがわかった。



つまり、女性が美を望む根本は

愛を望む心 からきていて

美が愛への近道だとプログラムされているということ。



もちろん、生物学的にも

美(例えば左右対称性とか健康なカーブ)は

DNAの質を象徴するから

これはより良いDNAを残したかったら

美は優位であることは間違えないけれど。



でもこれだけの知識を理解して

モテる経験もし始めたけど

結局わたしは「外から自分がどう映るか」

を勉強して賢くなっただけで

はっきり言って、わたしは

「いい子」を演じてただけだった。


その自分が作り上げた人間に

人が恋をして、

本当の自分はその仮面の中に

安全に隠れていただけだった。


そんな自分がさらに嫌いになって

「愛されるわたしになる」から

「愛される資格がないと思っている自分と向き合い、癒す」

という方向性に変わった。


簡単に言うと、もはや美しくなりたいという

欲望よりも、

純粋に「幸せになりたい」という欲望に変わっていった。


毎日自分のトラウマと向き合ったり

ありとあらゆる方法を使って

自分と向き合い、ヒーリングしていった。


この時代は、スピリチュアルを本気で

探求した時。

自分とは何か?体は何で存在するか

意識とは?

などの真実を古い聖典などから勉強した。



もちろん、自分を癒せば癒すほど

恩恵もたくさんあった。

その頃にはわたしは、

経済的自由、時間の自由、場所の自由

を手に入れていた。


住みたいところに住んで

使命を感じながら、

自分が情熱を持つことをシェアしたい時だけ

シェアして、

自分のしたいことだけをして生きていた。

まさにわたしの現実的幸せを

手に入れた時だった。



でもしばらくして、

この「ヒーリング」には終わりがないことが

わかった。

いくら自分を癒しても終わりがなく

また次に癒されなければならない何かが出てきた。

出てきたと言うか、

無意識に探していたのだと思う。


気づいた。

わたしは自分自身のことを

「治さなければならい壊れた存在」

として見ていたことを。


自分を壊れた存在としてみていて

どうやって幸せに近づいていけるだろうか?


わたしは一時的なハイを求めて

今の自分を自分の手で壊してたことに気づいた。


もちろん必要なプロセスだった。

もちろん全ての試みは自分自身を

いつもより良いバージョンに変えてくれた。


でも、このやり方にわたしは疲れてしまっていた。


それからわたしは「壊れた自分」から

「自分に愛される自分」にフォーカスを移した。



まさにその頃、妊娠して、

自分の体を労ることは胎児のためにもなる

ことだったから、

罪悪感を感じずに少しずつ

自分の欲望に耳を傾けることを学んだ。



妊娠している時に

妊娠エキスパートの友達に

「知ってる?子供を産む前に願い事をしたら叶うんだよ」って聞いて

真剣に自分と向き合って

わたしは何を願いたいか考えた。



そしたら、

「美しい見た目になりたい」

という願いが出てきた。

わたしの人生の中で

今まで重きを置かなかった見た目についての

欲望だった。


それは妊娠していた時、

わたしは見た目のコンプレックスが

また深く出てきたからだった。


妊婦はこんなにも尊く美しいのに

(他の妊婦にはそう思えたけど)

自分が鏡を見ると、

足が醜い とか 首が短くて太い とか

姿勢が良くない とか

そんなことばかり見えてたから.


しばらくして子供を産んで

トラウマ出産だったからか、

体がボロボロになった。

立っているのも座っているのも

しんどかったし、体が信じられないくらい

重くなった。

特に呼吸がとても浅くなった。



それからわたしは呼吸の大切さを実感し、

深くリラックスした呼吸ができなくなっている

わたしの体を整えることで

呼吸のしやすい体を作っていくことに

集中した。


運動が得意じゃないわたしは

最初はストレッチから始めた。


授乳で肩こりがすごくなって

首の後ろにこぶができていて

すごく痛んだから

そこのストレッチから始めた。


本当に地道な道のりで

体の成果はエネルギーの成果よりも

出るのに時間がかかる。


だけど、この神経な神社である体を

労わらないとわたしはこの身体中の

痛みが治らないことはわかっていた。



少しずつ成果を感じながら

時には成果の遅れにフラストレートするたびに

「もっとgentleに体を愛すこと」を

学んだ。というか学ばされた。



それから2年半が経つ頃、

体の重さが消えていくのを実感した。


もちろん、タオの夜の授乳で何度も起きて

睡眠が足りなかったから

これだけ時間がかかったんだろうが

わたしにとっては起きてからの一日が

天地の差でやっと、リラックスできるように

なってきた。


日々の小さな瞬間に至福を感じる余裕が

できていた。

子育てを楽しむ余裕もできていた。


その頃にはもうわたしは自分の体を

知り尽くしていた。

整体に行っても先生に驚かれるほど

わたしの感覚は科学と一致していて

なにか自分の体に不調がでると

何をどうしたらいいかわかるようになっていた。


久しぶりに裸で鏡の前に立つと

体の骨組みや姿勢が良くなってきたのが

目で見てわかるようになった。


そのとき、わたしの出産の願い事

「美しくなりたい」

という欲望を思い出して

ここまで実現させてきた自分に嬉しくなった。

でも同時に

「ここももっとこうなりたい。もっと姿勢が良くなりたい」

などのジャッジも出てきた。


わたしはその時、深く気づいた。

またわたしの体は

「治すプロジェクトになってる」って。


それから本気で自分を愛すことに

集中することにした。


体に手で触れて感謝を伝えたり

わたしが息子に日々与えている愛を

自分に与えてあげるようにした。


このフェーズでは

わたしはたくさん涙した。

でもその涙は悲し涙ではなく

80パーセントが嬉し涙だった。


わたしが美しくなりたい本当の理由は

この愛されている感覚を感じたかったからだ

と悟った。


このジャーニーも地道なジャーニーだけど

少しずつ変化が見えた。


自分を愛せば愛すほど

わたしは鏡の中で美しく映った。


今でさえ、自分を美しいと感じれない時は

たくさんあるけれど

そんな自分ですら包み込めるようになった。


完璧でない自分も少しずつ愛せるようになった。

これってわたしが自分に求めていた全てだった。



わたしは思う。

Love and beautyがなぜセットで

いつも引用されるか。


それは美しさは愛の副産物だから。



自分への愛が深ければ深いほど

それだけ自分の中の(外の)美しさも

浮き彫りになってくる。


美しさを求める心は

愛を渇望していると言うこと。


愛に満たされると

美しさは求めるものではなく

ただ自然と表現される。




これだけの壮大な結論を出しているわたしでも

いまだに自分を醜いと思う時もある。

でもこれって、ほとんどの女性にとっては

一生涯のテーマ。

ある意味、自分を醜い と思う自分がいるからこそここまで自分を本気で愛する

覚悟ができたと思うと、

そのコンプレックスですら

敵ではないなと思う。

自分を愛するチャンス。


でもわたしは80歳になってやっと

自分を「わたしは綺麗でしょ」と言えるように

はなりたくないし、

自分の愛への渇望を一時的に満足させるために

美容整形をしたいとも思わない。


美容整形に反対しているわけではないけど

美容整形では根本的な愛不足は解決しないし

それは一時的なもの。


美容整形をする理由が

「美しくなりたいから」ならば

その美しさは一時的に得られたとしても

根本的には得られない。


なぜなら美しさは愛の副産物だから。

愛の反対のエネルギーで自分の顔や体を

切り刻むことをしたとしても

愛は現れない。



愛は自分から出てくるもの。

注射やお医者さんが与えてくれるものではない。


生花の教えで、すごく貴い教えがある。

秋になったら枯れた葉を使って

その季節感や季節の美しさを際田出せるのだ

って。


私たちの体は老いていく。

それは夏の生き生きとした木々が

秋になると枯れるのと一緒のこと。


私たち女性は秋、冬を恐れている。

でも秋には秋の美しさがあるし

冬には冬の美しさがある。


その美しさを見出せる目を育てることは

本当の意味で美をリスペクトし、

受け取ることだとわたしは思う。








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