2025/06/08 14:32

Image source: Pinterest
ここ2年ほどこっそりとアートを作りながら
アートの世界の中で成長してきた。
アートに興味を持ち始めた最初のきっかけは
タオが一歳になる頃、
アガスティアの葉のリーディング(palm leaf reading)
をしてもらう機会があって
そこで、あなたの役割は
「スピリチュアルティーチャーとアーティストです」
と言われた時に、
「は?アート?なんで?」って感じたことから
始まった。
わたしは昔から自分にはアートの才能が
ないと思っていた。
というか、勝手にないと決めつけていた。
でもその「アーティスト」と言う言葉が
頭から抜けないほど自分の奥底に突き刺さったので
アートを知ることから始めた。
でもアートについての本や解説は
一冊も読まなかった。
ただ、自分の感覚だけで感じてみようと
アートを感じる感覚が自分の中にあるのか
確かめるように
有名なアーティストの絵を感じ取ったり
Instagramに載せられている
作品を感じ取る中で
全て理解できた。
この絵の周波数はこの次元のものだな。
とかこのアーティストは
こうやって世界を体験している人だな
とか。
なぜゴッホやピカソやモネが有名に
なったのかも理解できたし
アートを見るとアーティストの波動と世界観を
自然と知ることができた。
アートを見て、アーティストの感性や性格が理解できた。
「わたしはこの世界が解読できるし、堪能できる」って思った。
これはわたしがスピリチュアル配信を
始めてからたくさんの次元に触れたことの
副産物だったと思う。
アートの世界はスピリチュアルの世界を
具現化したものだ。
アートは絵に限らず
映画・音楽・詩・本・ストーリー・踊り・建築・ファッション
たくさんの媒体を通して表現される。
アートに意識を向けると、
この世にアートでないものはないのだなと
気付かされる。
特に自然はわたしの中では
最も高貴なアート。神様のアート。
その中でもわたしはお花が大好きだ。
そう思うと、わたしは生花を習い始めてたし
歌うのも子供の頃から好きだった。
雨が降った週末は美術館に行ったり
クラシックコンサートにいくのも好きだった。
踊るのも、体を感じるためとか
音楽の世界に入るため、最近は体のプログラムを振り落とすためにしてたし、
子供の頃はお花で色水を作るのが大好きだった。
子供の頃の記憶も、あまりないのに、
なぜかパン屋さんのドアノブの形とか
レストランの机の木の質感とか
雨が屋根から垂れ落ちてくる様子とか
そんな記憶ばかりが自分の中にあった。
わたしは自分自身のことを
アーティストから遠くかけ離れた人間だと
思っていたけど
思い返すと、ヒントはどこにでも転がってた。
そのあたりからわたしは
もしかしたらわたしもアーティストになれるのかも。
と思って、キャンバスや絵の具を買ってみた。
でも描きたいものもなんなのか
わからなかったし
描いても描いても
思う通りに描けなくて苦戦した。
だからもっと他のアーティストの
作品の中で、ここが好き。
と思うニュアンスをみんな、
どんな技術を使って描いてるのがを
目で見て予想して練習したりした。
スキルよりもわたしにとって大切だったのは
「わたしは何に美しいと感じるのか」
ということだった。
本当に世界中には
素晴らしい感性を持ったアーティストが
数えきれないほどたくさんいる。
感性とはアートで養われるのかと
実感したほど。
しばらくして
わたしは感じた。
「なぜわたしが絵を描けないか」。
それは
わたしが美しいものを描こうとしていたから。
美しい完成形を目指して
それを実現できない自分の感性を責めていた。
でもわたしは思った。
アートって美しさのためにあるのではなく
自己表現のためにある。
そしてその表現が素直なほど
人はその素直さに惹かれる。
そしてその表現をどれだけ素直にできるかこそ
技術や経験にかかってるんだろうなぁと思う。
だから唯一無二さやユニークさは
アートにおいてとても大切。
そしてアーティスト視点からいうと
完成形を目指しすぎて
プロセスそのものを楽しむ余裕がなくなってしまうならば
アートを作る意味はあまりないかもしれない。
全てのプロセスの不完全さを一つ一つ
愛してアートを作れるとき、
その波動も完成形に反映される。
でも完成形に近づけるために
アートを作っていると
ある一定のやり方以外が「ミス」とみなされるから
自由になれない。
子供を見ていてもわかる。
子供が絵を描くとき、
書いている途中経過を楽しんでる。
完成形が頭にない。
描きながら「これ何?」と聞くと
「これは〇〇」というふうに
自分の描いているものを認識していく。
わたしは毎回子供からたくさんのことを学ぶ。
アートを始めてから肩に力が入りすぎて
プロセスを楽しめなかった。
そして、「美しいなにか」を作ろうとして
美しくなくなるたびに自分を責めてた。
そして、だんだん”ミス”するのが怖くなってた。
だからわたしのアートを描くとき、
どう完成するかわからない中で
導かれるようにプロセスするフローを
大切にするようにした。
美しさ に 集中せず
しっくり感 に集中するようになった。
でももちろん、
言葉で表現するほど簡単なことでもない。
自分の中で葛藤しながら
プロセスの中でたくさん学んでいった。
自分について、スキルについて、色について、素材について。
でもプロセスが終わって絵を見ると
なぜか好きになれなかった。
治すところばかり見えて
絵を描くことから逃げたり
また、人に公開することを恥ずかしくも感じた。
でもやっぱりそれも、
「これってわたしがわたしに対して感じる完璧主義と一緒だな」と思った。
わたしの完璧主義(アートでいうこだわり)
は緩くなることはあっても
治ることはない。
でも完璧主義ですら受け入れて生きていくことはできる。
アート作成に触れ始めたところなのに
逆に満足いく作品が作れるわけがない。
自分にそれほどポテンシャルがあるからこそ
今の自分の段階を認められない自分もいて
当たり前だと思う。
そういう自分も包み込めるようになったとき
初めて、わたしは、この未完成なわたし(のアート)を
公開しようと決めた。
自分の未完成さを見られるのが
ずっと怖かった。
でも今の自分には今の自分にしかない価値がある。
今の自分には今の自分にしか見えない世界観がある。
それを大切にしていきたいし、
ここ2年ほど、
葛藤したり努力したりしながら描いた作品は
どれもわたしの心がこもっていて
時間とエネルギーが費やされている。
その自分の努力とエネルギーを
未完成だからと怖がって認めないことは
自分から逃げていることと同じだと思う。
わたしの作った作品の少しを
インスタグラムにシェアしてるんだけど
まだあんまり上げてないし
自分はまだまだだと思ってる中でも
パリに出展する話や
アート雑誌に記載する話、
日本のお寺に出展する話をいただいて
その人たちがわたしの作品の
どこに惹かれたか?
聞いてみると、
口を揃えて
「唯一無二なところ。」と言ってくれる。
なにが?と聞くと
「素材の新しい使い方と物事の深い見方と感性」
と言ってくれた。
わたしのようになんの技術もない初心者でも
わたしの内観している世界や感性が
表現できていて
受け取ってくれる人がいることを
しれたのはわたしにとっても自信に繋がったし
今までスピリチュアル配信をしてきた中で
培われた感性やビジョンも
アートをする上でとても大切な要素になっていたことにも気づけた。
やってみないとわからなかったことだったけど
アートを作ってみて、
わたしの感性に気づいてくれる人がいる
経験はわたしの人生の中で
初めてかもしれない。
だからこれからもどんな形の
アートにも挑戦しながら自分の世界観を
形にしていきたいと思った。
未完成なアーティストだけど
わたしの作った作品をみて、
何かパワーを感じてくれる人がいたら
嬉しいな思っています。
みんないつもありがとう❤️
愛を込めて
びこより
