vicoworld

2025/07/23 16:06




私が見た『白雪姫』──私たちの内なる旅の話

正直に言うと、最初はこの映画をあまり観たくありませんでした。
「フェミニズムに絡んでるらしい」という噂を聞いていたからです。

わたしは女性は自分自身を男性と比較することによって公平さを手にしていくのではなく
先祖代々受け継がれてきた女性としての苦しみから成長し
女性としての神聖さや喜びを祝福することが
本当のフェミニズムだと思っています。
苦しみを外の世界に直してもらうことは不可能。

でもこの映画をみてたくさん感じることが
あったのでシェアしてみたいと思います😌


この物語は、男女の問題を超えた、もっと根源的な問いを投げかけていたのです。
それは、目的に向かう力強さ(内なる男性性)と、自分の気持ちを感じて寄り添う力(内なる女性性)との統合の旅。

この物語が私に響いたのは、「どうあるべきか」や「~しなければならない」といった概念の檻から抜け出して、
自分の本音を感じること、選ぶこと、そして表現することの尊さを教えてくれたからです。



檻の象徴と、はじまりの世界


映画の最初に出てくる“檻”のシーン。
私はそれを、エゴ・信念・思考・社会的ルールによって閉じ込められた意識の象徴として感じました。

この檻は物理的なものではなく、
「こうあるべき」「こうしないといけない」という無数の“べき”で構成された、目に見えないプログラムの空間です。

ちなみに、白雪姫が最後に
真実を発したことにより
この世界が崩れていったということは
この世界は幻想でできていることがわかります。

白雪姫は、その中に閉じ込められていた。
でも、そこから抜け出して水の中へ飛び込んでいくシーンから、彼女の真の旅が始まります。



水と小人:感情との出会いと統合の旅


水は感情の象徴。
水の中を通り抜けた先で、白雪姫は森へ、そして小人たちと出会います。

私にとって小人たちは、白雪姫自身の感情の断片たちのように見えました。
喜び、怒り、恐れ、混乱、寂しさ…そのどれもが彼女の“無意識”の中にあった感情たち。

最初はその感情たち(小人たち)も喧嘩したり、まとまらなかったりします。
でも彼女が彼らと共に過ごし、関係を育み、掃除(=感情の浄化)を一緒にしながら、
感情と繋がることの喜びと軽やかさを体で思い出し、
感情に対して愛で接することを学ぶのです。

これはまさに私たちの中の女性性的
神聖性。



そして面白いのが、小人たちがクリスタルを掘っていたこと。
これはまさに、
物質化において感情は最初の物質への
結晶化(クリスタル化)を表しているからだと思いました。

なぜなら感情とは
思考が体に物質化したものだからです。

感情は体なしには感じられません。





なければならない vs. 心の声


旅の中で、白雪姫は何度も「使命」や「責任感」に突き動かされそうになります。

「自分が国を救わなければならない」
「兵士たちを助けなければならない」
「女王を倒さなければならない」

でも、そのたびに彼女は立ち止まり、自分の心に問い直します。
「私はどうしたい?」「それって本当に私の本音?」

この繰り返しこそが、彼女の旅を前へ進める鍵になっていたのだと思います。
心の声を聞くことが、次の扉を開く。
そして扉が開く世界は彼女の使命。



恐れと勇気の物語


物語を通して私が最も感動したのは、
恐れを“排除”するのではなく、“共に在る”ことを選んだ白雪姫の姿です。

口笛を吹いていた小人が象徴していたのは「恐れ」でした。
そしてその恐れが、最終的に声を出せるようになった瞬間、
白雪姫の中でも何かが大きく変わった気がしました。

恐れに光を当てること。
恐れの存在を許すこと。
そのプロセスの先に出てくるのが、勇気。

勇気とは、戦うための強さではなく、
真実を愛を持って語ることのできる静かな強さなんだと、この映画が教えてくれました。

そしてこの勇気が常に心の声に従い
行動するための糧になってる。

まさにこのストーリーの
感情パフォーマンスのコアとなるフィーリング。

内なる男性性。恐怖を感じるだけでなく
恐怖を感じながらも愛・真実を選ぶ行動力。

行動なしの勇気は存在しない。

勇気は男性性の神聖さを思い出させてくれます。


クイーンの象徴性:他者評価に支配された自己

この映画でのイーブルクイーンは、
他者評価に支配された自己の象徴だと私は感じました。

「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」
その問いに“自分”と返ってこないことに、彼女は激しく反応します。

つまり、自分の価値を自分で感じることができず、常に他人の言葉(=鏡)に依存している状態。
その在り方では、真実を見ることも、人(自分の本音)の気持ちを感じることも難しくなってしまう。

クイーンは、自分の内側の不安や恐れと向き合わないまま、
外の世界をどうにかコントロールしようとする存在でもあります。
だからこそ、彼女の暴力性や支配欲はどこか“切なさ”すら感じさせました。


最後に:真実を選ぶことで、物語は勝利に向かう

クイーンと対峙するクライマックスのシーン。
白雪姫に与えられたのは、「殺すか殺されるか」という選択でした。

けれど彼女は、そのどちらも選びませんでした。

彼女が選んだのは、“真実を語ること”。
「あなたは農家だった。兵士じゃなかった」と、洗脳された兵士に語りかける姿。

そのとき彼女は、偽りの世界の中で、光を持って真実を照らしたのです。
これが幻想の世界を解体するパワー。

まさに、感じる・愛する女性性、
そして、勇気をもって真実(光)を選び続ける男性性。
この両方が協力していないとアクセスできなかった本当のパワー。



この物語が私に教えてくれたこと


白雪姫は、自分で作り出した「べき」の檻から抜け出し、
感情と向き合い、自分の恐れを見つめ、
そしてそのひとつひとつに愛をもって光を当てていきました。

その積み重ねが、彼女を**本当の意味での「クイーン」**にしたのだと思います。

「クイーンになる」というのは、
外の世界を支配することではなく、
内側の真実と繋がり、それを愛の力で勇気をもって表現できる人になること。

この映画からそう感じました。





P.s. 白雪姫の相手役が超 小者に
描かれていて、かわいそうだった😆
(白雪姫にとっても相手役にとっても)

この映画の白雪姫は男性性が強いから
しょうがないかもしれないけど、
白雪姫をストーリーで輝かせるために
相手役をダウングレードする必要は
どこにあるのか?と個人的には思った。

映画のキャラクターの写し方は
映画を作った時代の集合意識の視点や
モラルを反映させていると感じる。




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