vicoworld

2026/06/17 13:25



信仰って、


人生という学校の中で、


“どんなまなざしで(姿勢で)世界に触れるか”


を決めるものなのかもしれない。


今日、

初めて紙の聖書をネットで注文した。


アプリでは持ってたんだけど、

紙の聖書を買ったのは初めてで。


その時にふと、


“信仰って何なんだろう”


って、

静かに自分の中に潜っていった。


今って本当に、

いろんな思想がある。


宗教。


哲学。


スピリチュアリティ。


ニューエイジ。


だからこそ逆に、


「何を信じればいいのか」


分からなくなりやすい時代。


しかも、

過去に宗教やスピリチュアルによって

傷ついた人も多い。


だから、

何かを信じること自体に、

怖さを感じる人もいる。


実際、

私の家族の中にも、

宗教への抵抗感はあった。


特にキリスト教に対しては、

どこか否定的な空気があって。


だから私は、

最初から自然にそこへ向かえたわけではなかった。


むしろ、

どこか避けていた部分もあったと思う。


でも、


信仰って、

外側に“正解”を探しにいくことでは、

ない気がしてる。


信じれるなにかをみつけて、

それに自分を当てはめることは

苦しい。



むしろ、


何度離れても、

また戻ってきてしまうもの。場所・感覚。


理由は分からないのに、

感覚だけが覚えてるもの。


その“戻ってくる音色”みたいなものを、

静かに拾っていくこと。


そこから始まるものも、

ある気がしてる。


例えば私は、

キリスト教的な世界観に

惹かれてる部分がある。


でもそれって、


「これが唯一正しいから」


ではなくて、


なぜか、

また戻ってきてしまう。


賛美歌。


教会の中の、

祈りのようなアート。


マリアの存在。


どれだけ離れても、

ふとした瞬間に、

また自分の中に流れ込んでくる。


だから多分、

頭で選んでるというより、


もっと深いところで、

昔から繋がってた。


でも同時に私は、

シャーマニズム的な感覚も好き。


木。


風。


空気。


自然の中にいると、

思考より先に、

何かがほどけていく。


自然って、

答えを教えてくれるというより、


“思い出させてくれる”


感じがする。


だから私にとって、

自然は、

“癒しの教室”。


私の信念はパーソナライズされてるけど


変わりなくここにあるのは

人生そのものが、

学校みたいってこと。


人生のいろんなエリアが、

それぞれの教室。


子育ては、

“育てるを生み出す教室”。


恋愛やパートナーシップは、

“愛の教室”。


人間関係は、

“人間と人間の気持ちの教室”。


身体は、

“身体感覚の教室”。


人によって、

どの教室が、もっとも深まるかは違う。


でも信仰って、

その教室そのものではなくて、


“その教室を、

どんな世界観の中で受け取り、

どんな姿勢で取り組み

どんな果実を抽出するか”


を決めるもの。


同じ出来事でも、


「なんでこんなことが起きるんだ」


と見ることもできるし、


「ここから何を学べるだろう」


そして、


「ここから、

どうやったら最大限に楽しめるだろう」


という見方もできる。



特に、

心地よくなかった出来事って、


その出来事自体よりも、


“それを自分がどう受け取るか”で、



全然違うものになっていく交差点のようなもの。


どう意味づけるのか。


どう咀嚼するのか。


どう自分の中で料理していくのか。


そこに、

その人の信仰が現れる気がしてる。


同じ人生でも、

どんな信仰を持っているかで、

世界の見え方や生き方は変わっていく。


だから信仰って、

ただ何かを崇拝することではなくて、


“人生との関係性の結び方”


そのものなのかもしれない。


そしてその世界観は、

自分の中の、

神聖なスペースから育っていく。


自分の部屋を飾りつけるように

なにを取り入れたっていい。

でも取り除いていく中で

なんども戻ってくるものは

感覚的に惹かれているもの。


どんな教えであっても、


自分の感覚を押し潰してまで

従う必要はない。


それって、

自分の中で丁寧に育ててきた、

神聖な空間を、

自分で閉じてしまうことにも

繋がるから。


神との関係性って、

本来、

誰かに管理されるものじゃなくて、


自分の中で、

静かに育っていくもの。


庭みたいに。


耕して。


水をあげて。


光を通して。


少しずつ、

呼吸するみたいに。


そしてその関係性が深まっていくほど、


人の言葉とか、

外側の概念に、

必要以上に飲み込まれなくなっていく。


それって、

誰かを否定することではなくて、


“自分の内側を、

ちゃんと信頼できる”


ということなのかもしれない。

メールマガジンを受け取る

メルマガでしか得られない情報や、新商品、キャンペーンなどの最新情報をお届けします。 ぜひご登録ください。